松井靖果
開幕初日のオープン直後の会場に行ってきました。会場はビルの3階にあり、階段を上った右側面のドアから中に入ると、左手側の正面に大型スクリーンモニタがあり、そこに作者の制作した映像が流れていました。左側面には過去らしき写真。
映像を見ながら「何を意図しているのだろう?」「何が言いたいのだろう?」と考えていましたが、結局「???」。
そのまま10分程、流れる映像をそのまま眺め続けていると、なんとなくだが、感じられるものがあるような気がしてきました。それは「自虐的」とも「偽悪的」とも思われる「私はこんなにもがいているのに」「私がこんな思いをしているのに」といった「情念」のようなものでした。
無機質とも思える会場やデジタルな映像を使いながら、ドロドロとした、目を背けたくなる「何か」を作者の記憶の中から無理やりに引きずり出して表現したようなこの作品、その「何か」は過去だったものと思いたい。もし現在進行形だとしたら、この先が気になるのは私だけであろうか。
【鑑賞記・写真:山崎 勝敬】

松井靖果
A-24 P-70 松井靖果(この先、記憶の十字交差あり。)
日立市多賀町1-15-3花金ビル3階

幼少期に日立市に住んでいた松井靖果。自分自身の記憶の残る場所を再び訪れ、写真や動画の撮影を行いました。
そして、そこであった出来事を思い出しながら、撮影した写真などを基に大きな絵として完成させます。
さらにそのプロセスを記録した映像も公開し、映像インスタレーションにしました。
断片的な記憶や出来事が、絵画の制作過程を撮影した映像と結びつけられることで、心の中に記憶を呼び戻す動作が視覚化されます。
早送りや逆再生によって加工された作家本人の肉声や環境音の不協和な音、またいくつかの時間軸の重なりが、ざわつくような感触とともに、私たち自身の人生の時間を振り返らせます。