ジャン・ワン:旧岡倉天心邸前庭
東京工業大学の大隅良典栄誉教授の医学生理学賞受賞で幕が開けたノーベル賞ウイーク。早くも国民の関心は「次の日本人受賞者は誰?」になっています。ところでアジア人で初めてノーベル賞を受賞したのは誰か知っていますか?
インドの詩聖と言われるタゴールです。1861年に生まれたタゴールは、1913年に詩集『ギタンジャリ』で文学賞を受賞。この時、タゴールの受賞を強く働き掛けたのが英国文学界だったと言われています。当時、英国の支配下にあったインド。ヒンズー文学を美しい英語で表現できる詩人としての才能が、両国の文化理解の推進役となったといわれています。英国文学界がタゴールを受け入れ、英国国王はナイト(爵位)を与えています。
タゴールはインド国歌も作詞・作曲者しました。1911年に作った歌が1950年に公式に国歌となりました。亡くなって9年後のことです。80年の生涯のうち、1916年から29年の間に日本を5回も訪れ各地で講演しています。
タゴールは日本の文化をこよなく愛しつつも、軍国主義化しアジア諸国を侮蔑する日本の政治路線を批判、「アジアは武力によってではなく、文化によって一つでなければならない」と警鐘を鳴らしました。「調和」「融合」「平和」を貫いた詩聖でした。
タゴールと岡倉天心の邂逅
このタゴールが尊敬した日本人が岡倉天心です。1901年、岡倉天心はインドを訪問。イギリス支配下に苦しむ民衆の姿などを目撃するとともに、タゴールとの出会いがありました。天心はタゴール家に10ヶ月間も滞在しました。ヨーロッパの繁栄がアジア諸国の属国化の上に成り立っているこの時代。アジア文化圏内の違いを認めつつ、その根底を貫く精神文化の共通性などを互いに確認しました。
天心が提唱した「アジアは一つである」という思想について理解を深め合います。天心は、帰国後「亜細亜ハ一ナリ」の碑を五浦天心邸の庭に建立しました。
一方、天心から大きな影響をうけたタゴールは講演「東洋と日本の使命」で以下のように述べています。「幾年か前のことです。わたしは日本の国からきた一人の偉大な独創的な人物に接したときに、真の日本に出会いました。・・東方の声がこの人から、わたしどもの国の若い人々に伝えられました。これは意義深い事件であり、わたし自身の生涯の中の、記念すべき出来事でありました。彼は東洋の真価にふさわしい人間の精神に雄大な表現を与えることを生涯の使命とするように、青年たちに要求しました」
その後、タゴールは数度日本を訪れています。1916年(大正5年)に、初めて日本へ来た時には五浦に足を運び、すでに亡くなっていた天心を偲びました。
ジャン・ワン
現在、茨城県北芸術祭が開催されており、六角堂・天心邸に共鳴するように、中国を代表する現代アーティスト・ジャン・ワンさんの彫刻が展示されています。「アジアは一つ」との石碑の前に屹立するメタリックな象に、その言葉の意味が体現されているようです。
C-04 P104 ジャン・ワン(Artificial Rock No.109)
六角堂・天心邸前庭:北茨城市五浦727-2