原高史(ピンクの窓)
街の声が聞こえるピンクの窓

茨城県北芸術祭は11月20日で閉幕。
これは絶対に見逃すな!という作品を、カウントダウン形式で紹介します。
街の声が聞こえるピンクの窓

梅津会館
常陸太田の中心商店街の住民の声が、ピンクの窓から聞こえてきます。
町並みには似つかわしくないショッキングピングの窓。
なんでこんなものを作ったんだろう?とさえ思ったピンクの窓。
そこに住む住民が、様々な思いを描くのだという。
そんなものだれが描くのだろう?最初、原さんのワークショップに参加したとき思いました。
でも、夏の暑い日、ピンクの窓が並び始まると、鯨ケ丘の表情が一転していきました。
そして、11月20日を迎えようとしています。
次の日からは、この街のピンクの窓が外されます。
こんな街の姿を見るのは、今しかありません。

梅津会館
常陸太田市の鯨ヶ丘商店街には歴史的な建造物やレトロな建物が並んでいます。郷土資料館(梅津会館)の建物は昭和11年に梅津福次郎翁の寄付金で太田町役場として建設されたもので、昭和53年7月まで常陸太田市庁舎として利用されていました。昭和55年5月31日に郷土資料館としてリニューアルされてから、いろいろな活動に利用されていますが、県北芸術祭では、ピンクの窓の建物に変貌しました。
また、商店街の窓々には建物に合わせた形のピンクのパネルが嵌められています。このピンクの窓は10月中旬からさらに増加し、50軒を超える予定とのことでした。そのピンクの窓のパネルには市民が伝える町の歴史や家族の歴史が伝えらています。
アーティストの原高史さんは、建物の所有者やそこに住む一人一人にインタービューを行い、各人や地域の歴史から抽出された言葉とそこから発想されたイラストをピンクの窓に入れこみました。
原高史(ピンクの窓)
ピンクの窓に描かれた市民の声・声・声・・・・
・昔は軒並みずーっとお店がありましたね
・北の方に葉タバコの集積所があったんです。
・この県北地方は葉タバコの産地だったんですよ。葉タバコをもって納付に来るでしょ、現金でもらって、お金できて、みんなここで買い物した。
・この塩町通りは、旧塩街道と称された水木浜(日立)から栃木県へ塩が運搬され、塩問屋が存しての呼称でした。
・昔、映画館の2階席はゴザが敷いてあったんですよ。ターザンとか怪獣映画見たりしてね
・昔は割烹、料亭で、税務署や警察署や学校の先生がドンチャカやってね
・1975年から商店街がだんだんだめになってくる前触れがあったんです。デパート、スーパーが進出してきた。
・小さなお店が潰れていく、大きなお店が来る、バイパスができる。
・当時はここは高台で車社会には不適当な場所になってしまった。ここに市役所、保健所などのいろんなものがあった。
・バイパスができて、下の方に移動するわけですね。そこにスーパーや商業施設ができていく流れでした。
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ピンクのパネルは、人々の記憶と共に各建物のユニークな窓の形を浮上させ、町全体が不思議な魅力を醸し出しています。このピンクの窓を持つ人々に聞くと、原さんの描いたイラストには住人や近隣の人々が協力してクレヨンで色付けをしたとのことで、その共同作業により、住民相互のつながりが深くなったとのことでした。
(鑑賞記・写真 百地康)

D-14 P135 原高史(ピンクの窓)
常陸太田市鯨ケ岡商店街